9匹のあひる

不思議な言葉でお話ししましょ

直木賞受賞作『月の満ち欠け』で驚いた

 

 品川で新幹線を降り、駅にある本屋さんになんとなく立ち寄った。くだらないビジネス書や、頭の悪そうな文章が乱立していた。その中で異彩を放つ装丁を見つけた。岩波文庫の白帯である。どうして岩波文庫が?それによりによってなぜ白帯なのか?さっぱりわからぬまま手に取った。

 本の帯を読んでみると、さらに理解しがたいことが起こる。直木賞受賞と書かれていたのだ。岩波文庫の白帯といえば、法律・経済・政治・社会の古典である。いつのまに大衆小説のジャンルを?それとも『月の満ち欠け』と題されたこの本に、社会科学の古典に匹敵するほどの内容と質が?と、疑問が絶えないと同時に興味が静まらない。

 本の紹介の文章をどう読んだところで、社会科学的でない。普通の恋愛小説ではないだろうということはわかる。というのも、「生まれ変わる」という言葉が読んで字のごとくの「生まれ変わる」という意味だからだ。しかし、そうした恋愛小説(全部は読んでいないので多分)が世にあるということは知っている。問題はそこではない。岩波文庫の白帯が破綻している。

 そんなことを思いながら購入した。850円+税。山手線で池袋に行く予定のため、JRの乗り換えに向かう。その途中で、あの困惑をもたらした本を鞄に仕舞おうとした時、ふと、背表紙が目に入った。それを見た途端、自然と笑みが訪れ「まったく、やられた」と思った。背表紙にはこう書かれていた。

岩波文庫的」

 

 

  

「光源」

 意味によって照らされ輝いた世界

 それは虚無への助走であり帰結である

 世界という電球のフィラメントは意味であり

 そこから照らし出された生が歩くとき

 虚無としての生もまた同じに歩く

 そしていつの時にか虚無が歩き始め

 生がその影としての歩を進める

 

「科学の外側」

 衣擦れと吐く息の音に誘われ

 踊り浮かれ仮面舞踏会に沈む

 怠惰を喜び勤勉を軽蔑し

 人の世の心が逆転される

 そこに生まれるのは知の外にある行為

 行為に名指されるものの範囲を越境する

 

「満たされぬ乾き」

 一般や客観や普通を生の濾過装置とし

 殺された美の雫を欲する人々

 白熱電球に輝く雫に見惚れ自我を喰われる

 悪魔の雫と知らず最低への助力と知らず

 飲むほどに乾く

 

「殺された時を求めて」

 華やぐ不幸にさらわれて

 風の鳴らぬ場所に立つ

 迫り来る不安を一瞥し

 輪郭は塗り固められていく

 幻想に浸る言葉は

 淀む今への慰めに

 ほころび始めた自分を埋めるのは

 皆で殺したあの「時」だけだろう