不幸の華やぐ音がします。
不幸の踊る気配がします。
あなたも不幸と踊りませんか?
この蜜を一度吸えば、もう二度と戻れません。
それでもあなたは不幸に溺れたいですか?
とっても気持ちいいですものね。
不幸とまぐわうのは。
不幸との逢い引きほど、幸せなことはありません。
酔いしれ、ふらつく足元のぎこちなさ。
硝子に写るあなたの不幸は、幸せからきっとあなたを守ってくれますよ。
不幸を見失ってはいけません。
自分の傷で暖をとりながら歩く冬の日。
気弱な信仰。
崇拝と祈りに結びましょう。
ルールを纏う。
規範を着る。
救われたいと願っている人間は、何にだって救われます。
願えば、ナメクジにだって救われます。
まことに楽しき日々です。
世間はあなたが思っている以上にでたらめです。
ですから、真面目に生きる必要はありません。
皆は、少しの違いを神経質そうに探します。
そして、笑います。
少しの違いも受け入れられない人々です。
気になりますか?
そうでしょうね。
だって、あなたもその神経質な人ですものね。
皆が皆、自分に都合がいいものです。
それすらも受け入れられない人々ばかりです。
悲しいのも、泣きたくなるのも、あなたの都合ではなくて?
ちがうの?
さあ、日常の文脈を中断してください。
世界を始めましょう。
安っぽい心で。
そう、安心で。
「今」を間違えた人々がいます。
そう、現れ方を間違えた人々が。
私は「いる」ことが不可能なのです。
私は特定の文脈で現れることができないのです。
この世界のこびりついた文脈で、私の現れ方は汚らわしいのです。
求めることは疎外であること。
それは、古めかしい図式。
セピア色の理論。
カビ臭い説。
現在の私が未来や反実仮想へと自身を投影します。
ですが、投影された私はカビの生えた赤褐色の妄(みだ)りな想いです。
未来とは、常に反実仮想でしょうか?
逆照射された私は、一体何色でしょう?
私が高校生だった頃、古典の授業がありました。
私はそこで反実仮想という概念を知りました。
美しいと思いました。
仮りの想いは実りに反するのです。
実が反ってしまうのです。
歪なのです。
歪さだけが秩序に抗うのです。
幾何学化された世界に穴を穿つのです。
障子にペニスを突き立てた太陽の季節のように。
みなさんも一緒に合理性を砕きませんか?
美しいと勘違いしている、整った、わかりやすさに溺れる脆弱性。
その無邪気さは可愛らしくありませんよ。
ああ、でもどうか勘違いしないでください。
歪さを新しい秩序だと勘違いしないでください。
歪さは歪さです。
それを受け入れられる人こそ、美しいのです。
それでは、整いすぎている人たち、波の打ち際の白い泡に結びましょう。