9匹のあひる

不思議な言葉でお話ししましょ

夏への手紙

拝啓、夏

 

 初夏の候、梅の雨と共に、日差しが肌を切り裂く季節となりました。メラニン色素が慌ただしく泡立ちます。

 

 さて、夏は夏をどうお過ごしでしょうか。たいそう居心地が悪いのではないか思われます。あなたはとても身体が弱く、幼少期から病院の白いシーツの上でばかり生活されていましたね。

 味の薄いご飯を食べ、見るものは病人の覚束ない足取り。そして、目ヤニと枯れた細腕。聞くものといえば、病人の介護疲れの愚痴や、自動機械のように話される病人への心配の言葉。

 

 

消毒液の香りだけがあなたの故郷。

シーツに染み込んだ小便の黄色があなたの原色。

ゲロのつんざく刺激臭だけが、あなたの鼻腔をくすぐらせます。

あなたはまだ、塩のしょっぱさを知らないでしょう。

 

 

長く伸びた爪を見つめながら、あなたはなにを思っていたのでしょうか。

切り揃えられた爪を羨ましそうに見つめていたあなたは、なにを願っていたのでしょう。

あなたにとって、夏の日の匂いとはなんでしょうか。

 

 春の木漏れ日、そして晩夏。秋の夕暮れの寂しさは心地良く、冬の朝は不安です。

 私は夏が嫌いです。お前が嫌いです。墓は私が買います。葬式の手配だって、費用だって私がすべて工面いたします。ですから、一刻も早く過ぎていってください。そうして、二度と訪れないでください。夏の思い出は、それはそれは素晴らしいものばかりです。だからこそ、それを思い出すたび、私には地獄なのです。地獄の季節なのです。

 安易なセンチメンタリズムはゴミです。夏の日にゴミに出して腐らせ、ハエを集(たか)らせてやりたいですね。蛆まで沸けば、なおよいでしょう。

 美しい思い出を作ることよりも、お前と二度と会わない方が、私にとっては美しきことなのです。もちろん、寂しさはあります。夏特有のあの寂しさ。そして心地よさ。

 鳴る寂しさを聴く心地よさ。風鈴の音と運ばれてくる蚊取り線香の匂い。虫の鳴く声とダラダラと流れる風。あの気怠(けだる)さは、風情といえるでしょう。

 海で泳ぎ疲れ、エアコンの風に足をさらわれながら眠る心地よさ。どこからか聞こえてくる母の声。キャミソール姿で訪ねてくる親戚たち。日が傾いてきたときに、テレビから流れてくる甲子園の延長試合。

 夜はバーベキューにしようかと耳にし、胸が高なったあの頃。肉の焼ける匂い。野菜はただただ黒く焦げていきました。バーベキューが終わり、赤くなっている炭をぼーっと見つめ、蚊に刺された左腕の二の腕を掻く。

 うとうとしながらお風呂に入り、炭臭くなった身体をサッパリさせ、身体を布団に入れる。

 あー、今日は楽しかったなーと、瞼が重くなり、なんの気負いもなく、なんの心配もなく、眠る。

 夏はときに、あまりにも美しく思われます。

 

 長くなりましたが、私が結局言いたかったのはこうです。

 私はあなたが嫌いです。

 

 

かしこ