9匹のあひる

不思議な言葉でお話ししましょ

酸性雨と幻

「自立」が「連帯」への嫌悪を吐き出し

「主体」が「みんな」という客体を拒絶する

「主体」が「客体」へと転落を感じる

この呪われた主体は「孤独」を前提にしてしまう

「孤独」であることを特別だと思う呪われた主体

我々は、自らに呪いをかける呪術師である

連綿と続く近代の病

切り開くのは妖術なのか

とても失語症

望まれた主体

勘違いされた主体

床の冷たさに忍ぶ連帯

一体、何を膝の上に座らせ愛撫すれば良いのだろうか

ひそかな羞恥心が雨垂れに響く

 

月曜のクソッタレの朝礼で、手首を搔き切れ

 

「死者の喘ぎ声」

あれは性根の腐った母親の情を持っていた。私はその情を貪った。接吻され、強く抱かれ、しかし、入ったところは空っぽだった。よく熟した憂いの空っぽ。さあ、精神を黙らせろ。

 街は雨を耕している。家を濡らし、傘を濡らし、禿頭に弾かれる。喚け、語れ、綴れ、滅ぶまで。なんというざまだ。

 私は揶揄(からか)われているのだろうか。私が無様なのだろうか。皆が同じ感情を発露し、同じ言葉を浮遊させる。思考までまるっきり同じ。私は他人と話すとき、一体誰と話しているのかわからなくなる。その相手は、世間という高尚な人々の集合体なのだ。私という個人と対話しうるすべての存在は、世間様なのだ。あいつも、こいつも、全員が匿名者だ。身体を、顔をこちらに向けたとしても、そいつらは匿名だ。肉の衣を纏(まと)った化け物め。世間の風に乗り、向かい風が吹けば、そちらに流れて行く。まったく、砂埃と変わらないではないか。まさか、私にくしゃみをさせるために、お前らは存在しているというのか?

 ところで、私はいつ個人になったのだ?やれやれ、無様なのは世間だ。黙れ。やかましい連中だ。人々の共感し合う音ほど耳障りなものはない。渋滞の中に鳴るクラクションよりも、電車で怒鳴り散らす老体よりも、だ。豚の内臓の呻きだ。ああ、私の世界を取り戻せるだろうか。果たして、そんなものはあっただろうか。私の言葉は、意味をやめた。

 

 乾いた夢の中を歩いて行く

 パリパリと、ひびを入れながら

 ボロボロと、崩れ落ちながら

 乾いた身体で歩いて行く

 それはやがて、砂と共生する

 

 今日という日は、もうすでに過ぎ去っている。繰り返す日々に、皮を引き裂かれる。日々とは追い剥ぎなのだ。無常が流れる。無常が舞う。無邪気な脆弱さに、いつまで浸れば気が済むのだ。私は一体、誰にへつらう?君か?物語か?それとも鶏か?夕立だ。夕立に抗う晴れ間に、亜麻色の影が揺れる。

 

 断片を結びては、その歪さに笑う

 断片をバラまいては、その痛みに泣く

 弾劾を逃れれば、憂いに叫ぶ

 過去は涙に枯れ、未来は冷めた顔でこちらを覗く

 

 時をミルフィーユにし

 フォークで突き刺せば

 惰眠に輝く星となる

 

 ......ああ、私は疲れた。そろそろ墓場なのか。私の身など、鳥にくれてやろう。さて、ポケットに何を入れて歩き出そうか、矜持を捨て、言葉を捨て、思いを少し入れて歩き出す。センターラインを踏みながら。

 息を止め、見渡せば、一面が空の続く場所だった。そこには、心を埋めていたものがあった。これは代償なのか。私が私を裏切ったことの代償なのか。手を伸ばす。しかし、私の声は、風のように手の間をすり抜け、私の脳を締め付ける。私は願い続ける。歩いた足跡が消えないことを。風に吹かれ、雨に流され、太陽に焼かれようとも。

 今では、向こうで私のすすり泣く声が木霊(こだま)している。同じ姿をしているのに、もう、隣にはいない。袖から私がこぼれ落ちて行く。どろどろと、すべての憎しみを煮詰めて出来上がった、真っ黒な姿をして。なんたることだろうか。ああ、誰がこの私を許すのか。ごまかして、見て見ぬ振りをしてきた。早足で通り過ぎようとしてきた。

 いつからだろうか。私は私と話せなくなった。何を言わずとも、私を気遣ってくれていた。だが、すでに目さえ合わないとは。壁の隅に座り、小さくうずくまっている。そして永遠と疼(うず)いている。平気なふりは、もうできなくなった。今までは笑っていたはずだった。

 

 煙草は囁く、不規則に

 雲が群がる、世間のように

 やがて、風に旅立つ

 澄まして歩く人々

 私は赤面する

 そして、みすぼらしく飢える

 

 硝子が砕ける。赤く染まっていく。電線から覗く、空の形に似た傷ができる。物悲しく、その傷は鳴く。音楽で病気を患えば、少しは変わるだろうか。沈黙も、狂乱も、そして絶望さえも、この私こそが主人なのだ。果たして我々は、無関心によって青春を買い戻すことができるだろうか。ああ、季節よ、どうかそこに留まっていてはくれないだろうか。怠惰な吹き溜まりとなってしまっても構わないのだ。花も、木々も、景色も、香りさえも、私なのだ。

 

 金曜日、授業が一つある。講義を受けるために家を出た。太陽のおでましだ。夏の日差しを真正面に受ける。だからといって私は、人を殺したりはしない。私は、夏の日の出ている時間が大嫌いなのだ。理由は単純だ。ゴキブリが大嫌いなのである。あのクソ忌々しいフォルムを見ると、全身が緊張し、息が止まってしまう。なので、なるべく下を見ないように歩く。しかし、そう意識すればするほど見てしまう。なんと不自由なものだろう。

 自転車に乗り、道を下る。信号を見事にクリアし、道を何度か曲がる。大学に到着した。三十分ほど遅れて講義室に入る。授業のプリントを取り、適当な空いている席に座る。なんでもない授業。ただただ、言葉が滑っていく。話された言葉に意味を付与する人間など、この講義室にはいない。学部生相手の授業において、言葉の意味は喪失されている。誰も見ようとせず、誰も聞こうとしない。友人と喋り、スマホを見つめる。見つめるその瞳は鈍く濁り、ブルーライトを反射する。そして髪の毛を触り、整え、誰とも知らぬ誰かのために、身なりを整える。

 相変わらず、なんとねばねばした、重々しい人影だろう。唾液、精液を全身に塗りたくったようだ。歪に反射するそれらの光に、私の眼は疲弊する。粘り気のある人影同士は、飽和しきった液体に沈み行く。そのまま溺れて死ねばいい。喉に精液を詰まらせ、口の中で風船を拵(こしら)え、微笑する唇を濡らす。笑止千万!笑劇を見せてくれたまえ!それを見て私は、生き溺れるのだ。

 講義が終わり、おのおのが講義室を後にする。相も変わらずスマホを触る。指紋を塗りたくることに夢中になれるほど、幼稚な人々。備えられた脳みそは、そのためだけに使われる。愚かなニューロン。寂しげなネットワーク。スマホの画面と対峙する表情は、誰のもの?

 講義室を出た後、大学の生協に入り、豆乳を買う。ストローで銀の薄膜を貫通させ、容器の底にストローを当てる。上下についた褐色の肉の間に、その白く透明がかった円柱を挟み、液体を吸い上げる。豆乳は、この世界で最も可憐で、無機質で、抱擁感を持ち得る、唯一のものである。精神的無防備な人間に付け込むのだ。これらを飲むとき、我が世の春が訪れる。だが、それは束の間のうちに、一挙手一投足の間も与えぬうちに、移ろう。

 大学を後にし、帰路につく。部屋の中は雑然としている。まったくのランダムに物が置かれている。壁に掛けられた大きな女の写真だけが、その部屋で異質さを放っている。部屋の壁側に置かれた机の上には、電子ピアノが置かれ、その電子ピアノの上には、本が積まれている。ジャンルはバラバラで、哲学、人類学、社会学、経済学、文学、小説、写真集である。その右隣には、マヨネーズとコンソメを保存するためだけに唸りを上げる冷蔵庫が置かれている。その上に電子レンジが置かれ、私の食を支えている。また、ピアノの乗った机の左側には、本棚があり、本で溢れ返っている。その上には電気ケトルがあり、これもまた、私の食を支えている。その向かい側には、ベッドが寂しく寝転がっている。この部屋は、ピアノを中心とし、両翼に私の生活の、すべての痕跡を発見できるようになっている。雑然としてはなく、ランダムではないのかもしれない。前言撤回だ。ただ言えることは、小さな部屋だということである。

 煙草に火を付ける。赤から白っぽい紫が揺れ始める。上を目指し、しかし、幾度となく挫折する。その姿は、立派なものではないか。皮膚病のおかげで全身が赤茶色した猫に餌を与えては、愉悦足る者共よ。「辛かったね、痛かったね、もう大丈夫よ」と、同情し、涙を耕し、未来を見せる。マスコミの餌食にされることを、最大の幸福と思う貴様らの、何倍も立派なことか!褐色の生ぬるい水には嫌悪感を表すというのに、皮膚病の色ならば涙するとは!こいつらは動物の女衒(ぜげん)だ!ああ、なぜお前らの感情は、いとも簡単にすべてを見下せるのだ。お前らの感情は、ベルトコンベアで運ばれてくるというのか?もしかとは思うが、工場で規格品としての感情が作られているのではないだろうな?その過程のうちに、歪な精神と感情は廃棄されているのだな!なるほど、ならば私は唯一、皮膚病だけに同情しよう。皮膚病の精神を讃えようではないか!

 

 「あなたたちの感情はどこにあるの?本当に君のもの?感情までをも、ネットから引きうけるの?言葉も、感覚も、すべて?ねえ、答えて。励ましも、勇気も、希望も、絶望も、誰のもの?あなたはそれを持っているの?都合よく、検索して、それらの感情の使い方を学ぶというの?傑作ね!そう、調べることは大切なことだものね。そうやってあなたたちは、誰でもないあなたたちになっていくのね。無様ね。そこに一体どんな音が木霊していると思う?聞いたことはない?教えてあげようか?なに、その顔は。怒っているのね。それも検索した『怒り』ね。ふふっ、どう、『怒り』の使い方はわかったかしら?」

 

 街を歩けば、どこかの店に列をなす人々の群れが見られる。その群れは、主体性を持たないただの入れ物である。広告やSNSなどの煽動をうけ、その群れは形成させられる。何かないかと目を光らせていると錯覚し、自己の欲望のために行動していると勘違いしている。やれやれ、そこに君たちはいないのだ。君たちのことだ、どうせ、花火のように零(こぼ)れた内臓まで写真におさめるのだろう。お前らの四肢はなんのためにあるのだ?虚空に手を伸ばすためか?飼い犬になるためか?結構なことだ!そうして安寧を手に入れたまえ!よりよい自由を手に入れたまえ!それを楽園と思えるのであるならば、一生懸命、濁った瞳を欲せよ。すべての憎しみは、私が引き受けよう。

 どこに声があるというのだ。皆は声をやめてしまった。骨が乾いてしまったのだろう。君たちの悲しみも、寂しさも、喜びも、愛情も、すべて恐怖からのものだ。何に怯えている?誰の叫びを聞いているのだ?目に見えない何か。実体のない何か。人々が漂わせる、熟し、蛆の湧いた同定への思い。さあ、恐怖ゆえの感情をやめたまえ。

 ただひとつ感心することがある。それは、こうした人々が、よく気絶せずにいられるということだ。まさか、それこそがご褒美なのか?

 

 雪の下に埋もれた思い出は

 芽を出すことなく枯れていく

 春になればその姿が露(あら)わとなり

 探していたものも

 探していたことさえも

 春雨とともに流されていく

 

 傷ついていくことに対する自己陶酔感。不幸せだという自分の境遇に心地よさを覚え始め、すべてを物悲しく感じること、寂寥感を漂わせることを美徳とする。妄想し、空想し、その中でだけ生きていく。それは夢などではなく、精神を安定させるためだけの装置。精神の代替可能な安定装置。

「ゴテゴテしたピエロみたいな精神性ね。道化的精神。見苦しいほど素っ裸になればいいのに。ところで、自己紹介は終わったかしら?」

 安心したまえ。貴様らの精神も代替物だ。

 

 息吹け、息吹け、花が過ぎ去るまで。

 

 意志というものは、常識それそのものへの挑戦だ。それは私という自己に対して亀裂を生じさせる。それは裂け目を創る。常識というものは私に内化されたもの。私を創り上げているものなのだ。それに対峙し、打勝とうとすれば、私は裂ける。

 このことをこそ行うのだ。われわれは世界というものに対して貧血を起こしている。血を欲せ!そのために、自己に裂け目を創れ!今、感覚されているものを異質なものとして眺めたまえ!そうすれば、立ち眩みを起こしているその生そのものから解き放たれるであろう。

 

ふと思い出す

愛惜のものとして

皮肉にも、私たちの過去はこれでしかない

ただただ黒く、暗い景色の万華鏡

こうしたものに私たちは五感を投げ入れる

そして、懐かしさに胸が憂いる

熟した林檎のように

秋の夕焼けの美しさの中で寂しそうに揺れる

ススキのような静けさをもって

私たちは思い出す

私たちが生まれたとき

道はすでにアスファルトだった

アスファルトの続く直線、アスファルトの描く曲線

雨を弾き、水たまりをつくるのはアスファルトだった

太陽が照らすのも、汗を落とす場所さえも、アスファルトだった

汗の落ちる場所は、歩む道は、いつも黒い。暗かった

空は青く、地は黒く、暗い

陽炎の生きる場所だって、いつだって

アスファルトは飲み込んだ

私たちの黒い瞳は、黒だけを飲み込んだ

私たちの思い出は、アスファルトで圧殺される

緑の風景を下から支えるのは、我らが生んだ新しい黒色

日々の疲れからヒビの入ったアスファルトに、黒い蟻が歩を進める

蟻の足場までも黒くなった

雨が降っているわけでもないのに

この黒さは発展の標

この暗さは繁栄の証

私たちの住む青い星が真っ黒になるまで

人類は、ガラの悪い黒塗りのポンコツをこしらえ続けるのだろうか

暗い幻想と黒い事実

黒く濁った思い出の道は、私たちを生んだ大地だ

ションベンかけて、唾をみなぎらせよ

虫唾の走り出すままに

  

 今まで創り上げ、やっとの思いで今、感じるこの私への、あまりに激しい愛着のあまり、変えようとする私に恐怖、嫌悪、殺意、不安が訪れる。今の私から今からの私への斥力。今の私が二重化してしまう。互いが互いに侵食し合うのだ。ああ、苦しいのだろう。痙攣する片足のように、もがき苦しんでいる。

 今からの私が今までの私を刺激し、今までの私は今からの私を引きとめようとする。それは、今までの私がまだ感じたことのないものを感じたい、そうした、子供が母親におやつをねだるわがままのような理由からであるのだ。今の私ですべてを感じてみたい。感じたい。今のままで感じたいものが確かに、私にはある。誰よりも強く。それが叶うまで、感覚の在り方の異なる私たちの、私たち二人の葛藤は現在し続け、相克し続けるはずだ。

 どうか今からの私よ、もう少しだけ、あと少しだけ、待っていて欲しい。いつか必ず、あなたに私を譲る日がくるのだから。

 

「光源」

 

意味によって照らされ輝いた世界

それは虚無への助走であり帰結である

世界という電球のフィラメントは意味であり

そこから照らし出された生が歩くとき

虚無としての生もまた同じに歩く

そしていつのときにか虚無が歩き始め

生がその影としての歩を進める

 

「科学の外側」

 衣擦れと吐く息の音に誘われ

踊り浮かれ仮面舞踏会に沈む

怠惰を喜び勤勉を軽蔑し

人の世の心が逆転される

そこに生まれるのは知の外にある行為

行為に名指されるものの範囲を越境する

 

「満たされぬ乾き」

 

一般や客観や普通を生の濾過装置とし

殺された美の雫を欲する人々

白熱電球に輝く雫に見惚れ

自我を喰われる

悪魔の雫と知らず

最低への助力と知らず

飲むほどに乾く

 

 

「殺された時を求めて」

 

華やぐ不幸にさらわれて

風の鳴らぬ場所に立つ

迫り来る不安を一瞥し

輪郭は塗り固められていく

幻想に浸る言葉は

淀む今への慰めに

ほころび始めた自分を埋めるのは

皆で殺したあの「時」だけだろう

 

 「朝」

 

薄明に囁く牡牛たちが

民衆讃歌が奏でられるその前に

そぞろ寒い泥の中でしのび鳴く

天蓋が砕かれ煙を透して写す硝子

流れる道徳がただの表現へと実を枯らす

蒼然とし中空から落下する

堤防から喜劇が消えるまでの残りわずかの海

森から背広を着た男が姿を現し

狂人たちによってデッサンされた世界がとうとう演技される

我々のよくなじんだ火の朝が幕を開けた

 

 権力と知が結びつくと、正義は世界から消滅し、都合という正義の言葉の本来性が取り出される。そこにおいて、人々はその都合を正義と見なし、信じ、謳われ、知が枯れ始める。土に埋もれた汚れを知る理性どもは、その十分な栄養を吸収し、偽りの花を咲かせる。その花を枯らす雨は、太陽のごとくそこにあり続けた真実の雫だけである。

 

「常春」

 

春の陽気に抱かれ

静寂の中の煌びやかな

粒子とともに踊る

踊り疲れた緑色の身体に

柔らかい風が抜けていく

さらさらと、サァサァと

その香り立つ夢に眠る

枯れることなく

腐敗することなく

わたしは春の中に在る

 

このまま君と眠ろうか

このまま君と死んでしまおうか

 

中指の立つ国で、繰り返す日々に殺される

 

 

さようなら