9匹のあひる

不思議な言葉でお話ししましょ

緑物語2

 今日は1/1。元旦です。緑ちゃんは目を覚ましました。まだ眠い目をこすり、目のざらざらをとりました。年が変わったからといって、特になにか変化が起きるわけがありません。急に関西弁しか話せなくなるとか、そういうのもないのです。そうなったら、めっちゃおもろいけどな。なあ?めっちゃおもろいやろ?おもろいいうてるやんけ!

 緑ちゃんはぎこちない関西弁で怒鳴り散らかしました。それでとりあえず覚醒しました。時計を見ると、9時17分。まあ、いい感じに起きれたかな、と緑ちゃんは1人そう思ったのでした。

 

 おかあさんがお雑煮のお餅を何個にするかと私に問いました。私はとても混乱しました。この母親は、お餅で喉を詰まらせ、死にゆくガキがどれほどいるか知らないのか、と。でも、その混乱とお母さんへの不信感の他に、もう一つ感じたことがありました。それを感じたとき、私は文字通り、背筋がゾクッとしました。そして、股のところがムズムズしました。

 死です。私は毎年、お餅2つです。でももし、もしも数をふやしたなら......

 2つから3つへ数を増やしたなら、私はお餅を喉に詰まらせる可能性が増えてしまう。私は、何気ない母との会話での決定によって、有限ということから離れてしまう。離れ、別れる。餅はもちもち。

 生活に死はある。だが今では、家で家族を看取るという経験は少なくなってきている。どこかのボケはSNSで、高齢者が増えているからこれからどんどん死が生活にありふれたものになるとか言っていた。数字だけの話でみればそうかもしれない。しかし、ほとんどの死は病院にある。現代の姨捨(おばすて)山は病院になった。

 昔は家に死があった。その匂い、感覚、手触り。それは今では排除された。死は家から掃き出された。だから今後とも、死は生活のなかにありふれたものにはならない。より徹底的に、死は白い建物のなかにいる、白いロングドレスをきた人間の元へと送り出される一方である。

 生活に死はある。だが、死に場はない。

 私は怖くなりました。3つを選ぶこと。決定すること。決断するということの狂気性を実感しました。そこで私はとても頭のいい子供なので、習慣に頼ることにしました。習慣は怠惰、安心なのです。なので、

「うーんとね、2つ!」と、母に伝えました。

 

 お雑煮を食べた後、緑ちゃんは両親に連れられ、祖父母の家に行くことになりました。正直、あまり行きたくありませんでした。でも、緑ちゃんは機嫌が良かったので行くことに決めました。

 祖母は認知症とかいう病気です。程度についてはよくわかりません。祖母はこうくりかえしました。

「今日は、どうしたの?どうしてきたの?」と、何度も問います。私は感心しました。同じ問題について、何度も問い直す。その勇気に感服しました。お母さんは、

「今日がお正月だからだよ」と、何度も繰り返しました。お母さんも認知症かしら?と思いました。

 あーあ、なんかつまんない。私はそう思いました。そう思っただけでした。ごろんと寝そべり、天井を見ました。

 

 そこには、なにもありませんでした。

緑物語1

 その液体は腕の中をスルリと抜けていきました。ドンという音とともにそれは走っていきました。四肢が唸り、身体を躍動させながら。

 

 緑ちゃんは猫を飼っていました。自分の膝の上で眠る猫が大好きでした。それはとても暖かく、優しいのでした。もう死んじゃったランボーという詩人は、自分の膝の上に幸せを座らせて、なんとやらと書いていたような気がしますが、あれはきっと猫のことを想定していたのではないかと思います。

 目を瞑りながら眠る猫は、明日のことなんて考えていません。かといって、なにも感じていない訳ではないのです。きっと、ただ感じているのです。また、夢も見ているに違いありません。シマウマの喉をその凶暴な牙でかき切り、痙攣する赤褐色の肉を味わう夢。それはなにもサバンナなどの光景のなかではないのです。緑ちゃんたちの住む、錆びた街の裏路地での夢です。そこにきっとあるものなのです。

 午後の柔らかな日差しを受け、眠る猫を見ていると、緑ちゃんも眠たくなってきました。うとうとしながら、ゆっくり揺れ、そして。

 

 緑ちゃんはよく散歩をします。近所の人からは今日も元気だね、とよく声をかけられます。元気ってどういう状態なんだろうとよく考えますが、わかりません。ニコニコして私は歩いているのかしらん?

 今日は12/30です。年の瀬です。寒くて身体が縮みそうです。たま○んみたいに。通りの木々たちは、葉っぱをつけていることに飽きてしまったのでしょう。一本たりとて、葉をつけているものはありません。身体をさらけ出しています。この露出狂めが。私にそんな下品なもんみせてんじゃねーよ。と、私はとりま舌打ちをしました。

 眉間にシワを寄せ、視感症的になった世界に辟易していると、近所の最近一番ダルいおじいさんが、

「ああ、緑ちゃん、おはよう」

と、生意気にもあいさつをしてきました。私はとても気が立っていたので、

「おはおはおはおはおはおはおはおはおはぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺ」

と、言ってやりました。するとそのおじいさんは目を見開いた後、人の良さそうな笑みを作りました。完全に舐めてやがると私は思ったので、顔面に唾を吐きかけてあげました。きっと喜ぶに違いないと、そう信じて。するとおじいさんは、

「なにをするんだ!」

と、怒鳴りました。私はすでに飽きてしまっていたので、散文的に笑いました。そして、そのおじいさんにキスをし、その場を後にしました。

 

 きっと、明日は晴れるでしょう。

 

酸性雨と幻

「自立」が「連帯」への嫌悪を吐き出し

「主体」が「みんな」という客体を拒絶する

「主体」が「客体」へと転落を感じる

この呪われた主体は「孤独」を前提にしてしまう

「孤独」であることを特別だと思う呪われた主体

我々は、自らに呪いをかける呪術師である

連綿と続く近代の病

切り開くのは妖術なのか

とても失語症

望まれた主体

勘違いされた主体

床の冷たさに忍ぶ連帯

一体、何を膝の上に座らせ愛撫すれば良いのだろうか

ひそかな羞恥心が雨垂れに響く

 

月曜のクソッタレの朝礼で、手首を搔き切れ

 

「死者の喘ぎ声」

あれは性根の腐った母親の情を持っていた。私はその情を貪った。接吻され、強く抱かれ、しかし、入ったところは空っぽだった。よく熟した憂いの空っぽ。さあ、精神を黙らせろ。

 街は雨を耕している。家を濡らし、傘を濡らし、禿頭に弾かれる。喚け、語れ、綴れ、滅ぶまで。なんというざまだ。

 私は揶揄(からか)われているのだろうか。私が無様なのだろうか。皆が同じ感情を発露し、同じ言葉を浮遊させる。思考までまるっきり同じ。私は他人と話すとき、一体誰と話しているのかわからなくなる。その相手は、世間という高尚な人々の集合体なのだ。私という個人と対話しうるすべての存在は、世間様なのだ。あいつも、こいつも、全員が匿名者だ。身体を、顔をこちらに向けたとしても、そいつらは匿名だ。肉の衣を纏(まと)った化け物め。世間の風に乗り、向かい風が吹けば、そちらに流れて行く。まったく、砂埃と変わらないではないか。まさか、私にくしゃみをさせるために、お前らは存在しているというのか?

 ところで、私はいつ個人になったのだ?やれやれ、無様なのは世間だ。黙れ。やかましい連中だ。人々の共感し合う音ほど耳障りなものはない。渋滞の中に鳴るクラクションよりも、電車で怒鳴り散らす老体よりも、だ。豚の内臓の呻きだ。ああ、私の世界を取り戻せるだろうか。果たして、そんなものはあっただろうか。私の言葉は、意味をやめた。

 

 乾いた夢の中を歩いて行く

 パリパリと、ひびを入れながら

 ボロボロと、崩れ落ちながら

 乾いた身体で歩いて行く

 それはやがて、砂と共生する

 

 今日という日は、もうすでに過ぎ去っている。繰り返す日々に、皮を引き裂かれる。日々とは追い剥ぎなのだ。無常が流れる。無常が舞う。無邪気な脆弱さに、いつまで浸れば気が済むのだ。私は一体、誰にへつらう?君か?物語か?それとも鶏か?夕立だ。夕立に抗う晴れ間に、亜麻色の影が揺れる。

 

 断片を結びては、その歪さに笑う

 断片をバラまいては、その痛みに泣く

 弾劾を逃れれば、憂いに叫ぶ

 過去は涙に枯れ、未来は冷めた顔でこちらを覗く

 

 時をミルフィーユにし

 フォークで突き刺せば

 惰眠に輝く星となる

 

 ......ああ、私は疲れた。そろそろ墓場なのか。私の身など、鳥にくれてやろう。さて、ポケットに何を入れて歩き出そうか、矜持を捨て、言葉を捨て、思いを少し入れて歩き出す。センターラインを踏みながら。

 息を止め、見渡せば、一面が空の続く場所だった。そこには、心を埋めていたものがあった。これは代償なのか。私が私を裏切ったことの代償なのか。手を伸ばす。しかし、私の声は、風のように手の間をすり抜け、私の脳を締め付ける。私は願い続ける。歩いた足跡が消えないことを。風に吹かれ、雨に流され、太陽に焼かれようとも。

 今では、向こうで私のすすり泣く声が木霊(こだま)している。同じ姿をしているのに、もう、隣にはいない。袖から私がこぼれ落ちて行く。どろどろと、すべての憎しみを煮詰めて出来上がった、真っ黒な姿をして。なんたることだろうか。ああ、誰がこの私を許すのか。ごまかして、見て見ぬ振りをしてきた。早足で通り過ぎようとしてきた。

 いつからだろうか。私は私と話せなくなった。何を言わずとも、私を気遣ってくれていた。だが、すでに目さえ合わないとは。壁の隅に座り、小さくうずくまっている。そして永遠と疼(うず)いている。平気なふりは、もうできなくなった。今までは笑っていたはずだった。

 

 煙草は囁く、不規則に

 雲が群がる、世間のように

 やがて、風に旅立つ

 澄まして歩く人々

 私は赤面する

 そして、みすぼらしく飢える

 

 硝子が砕ける。赤く染まっていく。電線から覗く、空の形に似た傷ができる。物悲しく、その傷は鳴く。音楽で病気を患えば、少しは変わるだろうか。沈黙も、狂乱も、そして絶望さえも、この私こそが主人なのだ。果たして我々は、無関心によって青春を買い戻すことができるだろうか。ああ、季節よ、どうかそこに留まっていてはくれないだろうか。怠惰な吹き溜まりとなってしまっても構わないのだ。花も、木々も、景色も、香りさえも、私なのだ。

 

 金曜日、授業が一つある。講義を受けるために家を出た。太陽のおでましだ。夏の日差しを真正面に受ける。だからといって私は、人を殺したりはしない。私は、夏の日の出ている時間が大嫌いなのだ。理由は単純だ。ゴキブリが大嫌いなのである。あのクソ忌々しいフォルムを見ると、全身が緊張し、息が止まってしまう。なので、なるべく下を見ないように歩く。しかし、そう意識すればするほど見てしまう。なんと不自由なものだろう。

 自転車に乗り、道を下る。信号を見事にクリアし、道を何度か曲がる。大学に到着した。三十分ほど遅れて講義室に入る。授業のプリントを取り、適当な空いている席に座る。なんでもない授業。ただただ、言葉が滑っていく。話された言葉に意味を付与する人間など、この講義室にはいない。学部生相手の授業において、言葉の意味は喪失されている。誰も見ようとせず、誰も聞こうとしない。友人と喋り、スマホを見つめる。見つめるその瞳は鈍く濁り、ブルーライトを反射する。そして髪の毛を触り、整え、誰とも知らぬ誰かのために、身なりを整える。

 相変わらず、なんとねばねばした、重々しい人影だろう。唾液、精液を全身に塗りたくったようだ。歪に反射するそれらの光に、私の眼は疲弊する。粘り気のある人影同士は、飽和しきった液体に沈み行く。そのまま溺れて死ねばいい。喉に精液を詰まらせ、口の中で風船を拵(こしら)え、微笑する唇を濡らす。笑止千万!笑劇を見せてくれたまえ!それを見て私は、生き溺れるのだ。

 講義が終わり、おのおのが講義室を後にする。相も変わらずスマホを触る。指紋を塗りたくることに夢中になれるほど、幼稚な人々。備えられた脳みそは、そのためだけに使われる。愚かなニューロン。寂しげなネットワーク。スマホの画面と対峙する表情は、誰のもの?

 講義室を出た後、大学の生協に入り、豆乳を買う。ストローで銀の薄膜を貫通させ、容器の底にストローを当てる。上下についた褐色の肉の間に、その白く透明がかった円柱を挟み、液体を吸い上げる。豆乳は、この世界で最も可憐で、無機質で、抱擁感を持ち得る、唯一のものである。精神的無防備な人間に付け込むのだ。これらを飲むとき、我が世の春が訪れる。だが、それは束の間のうちに、一挙手一投足の間も与えぬうちに、移ろう。

 大学を後にし、帰路につく。部屋の中は雑然としている。まったくのランダムに物が置かれている。壁に掛けられた大きな女の写真だけが、その部屋で異質さを放っている。部屋の壁側に置かれた机の上には、電子ピアノが置かれ、その電子ピアノの上には、本が積まれている。ジャンルはバラバラで、哲学、人類学、社会学、経済学、文学、小説、写真集である。その右隣には、マヨネーズとコンソメを保存するためだけに唸りを上げる冷蔵庫が置かれている。その上に電子レンジが置かれ、私の食を支えている。また、ピアノの乗った机の左側には、本棚があり、本で溢れ返っている。その上には電気ケトルがあり、これもまた、私の食を支えている。その向かい側には、ベッドが寂しく寝転がっている。この部屋は、ピアノを中心とし、両翼に私の生活の、すべての痕跡を発見できるようになっている。雑然としてはなく、ランダムではないのかもしれない。前言撤回だ。ただ言えることは、小さな部屋だということである。

 煙草に火を付ける。赤から白っぽい紫が揺れ始める。上を目指し、しかし、幾度となく挫折する。その姿は、立派なものではないか。皮膚病のおかげで全身が赤茶色した猫に餌を与えては、愉悦足る者共よ。「辛かったね、痛かったね、もう大丈夫よ」と、同情し、涙を耕し、未来を見せる。マスコミの餌食にされることを、最大の幸福と思う貴様らの、何倍も立派なことか!褐色の生ぬるい水には嫌悪感を表すというのに、皮膚病の色ならば涙するとは!こいつらは動物の女衒(ぜげん)だ!ああ、なぜお前らの感情は、いとも簡単にすべてを見下せるのだ。お前らの感情は、ベルトコンベアで運ばれてくるというのか?もしかとは思うが、工場で規格品としての感情が作られているのではないだろうな?その過程のうちに、歪な精神と感情は廃棄されているのだな!なるほど、ならば私は唯一、皮膚病だけに同情しよう。皮膚病の精神を讃えようではないか!

 

 「あなたたちの感情はどこにあるの?本当に君のもの?感情までをも、ネットから引きうけるの?言葉も、感覚も、すべて?ねえ、答えて。励ましも、勇気も、希望も、絶望も、誰のもの?あなたはそれを持っているの?都合よく、検索して、それらの感情の使い方を学ぶというの?傑作ね!そう、調べることは大切なことだものね。そうやってあなたたちは、誰でもないあなたたちになっていくのね。無様ね。そこに一体どんな音が木霊していると思う?聞いたことはない?教えてあげようか?なに、その顔は。怒っているのね。それも検索した『怒り』ね。ふふっ、どう、『怒り』の使い方はわかったかしら?」

 

 街を歩けば、どこかの店に列をなす人々の群れが見られる。その群れは、主体性を持たないただの入れ物である。広告やSNSなどの煽動をうけ、その群れは形成させられる。何かないかと目を光らせていると錯覚し、自己の欲望のために行動していると勘違いしている。やれやれ、そこに君たちはいないのだ。君たちのことだ、どうせ、花火のように零(こぼ)れた内臓まで写真におさめるのだろう。お前らの四肢はなんのためにあるのだ?虚空に手を伸ばすためか?飼い犬になるためか?結構なことだ!そうして安寧を手に入れたまえ!よりよい自由を手に入れたまえ!それを楽園と思えるのであるならば、一生懸命、濁った瞳を欲せよ。すべての憎しみは、私が引き受けよう。

 どこに声があるというのだ。皆は声をやめてしまった。骨が乾いてしまったのだろう。君たちの悲しみも、寂しさも、喜びも、愛情も、すべて恐怖からのものだ。何に怯えている?誰の叫びを聞いているのだ?目に見えない何か。実体のない何か。人々が漂わせる、熟し、蛆の湧いた同定への思い。さあ、恐怖ゆえの感情をやめたまえ。

 ただひとつ感心することがある。それは、こうした人々が、よく気絶せずにいられるということだ。まさか、それこそがご褒美なのか?

 

 雪の下に埋もれた思い出は

 芽を出すことなく枯れていく

 春になればその姿が露(あら)わとなり

 探していたものも

 探していたことさえも

 春雨とともに流されていく

 

 傷ついていくことに対する自己陶酔感。不幸せだという自分の境遇に心地よさを覚え始め、すべてを物悲しく感じること、寂寥感を漂わせることを美徳とする。妄想し、空想し、その中でだけ生きていく。それは夢などではなく、精神を安定させるためだけの装置。精神の代替可能な安定装置。

「ゴテゴテしたピエロみたいな精神性ね。道化的精神。見苦しいほど素っ裸になればいいのに。ところで、自己紹介は終わったかしら?」

 安心したまえ。貴様らの精神も代替物だ。

 

 息吹け、息吹け、花が過ぎ去るまで。

 

 意志というものは、常識それそのものへの挑戦だ。それは私という自己に対して亀裂を生じさせる。それは裂け目を創る。常識というものは私に内化されたもの。私を創り上げているものなのだ。それに対峙し、打勝とうとすれば、私は裂ける。

 このことをこそ行うのだ。われわれは世界というものに対して貧血を起こしている。血を欲せ!そのために、自己に裂け目を創れ!今、感覚されているものを異質なものとして眺めたまえ!そうすれば、立ち眩みを起こしているその生そのものから解き放たれるであろう。

 

ふと思い出す

愛惜のものとして

皮肉にも、私たちの過去はこれでしかない

ただただ黒く、暗い景色の万華鏡

こうしたものに私たちは五感を投げ入れる

そして、懐かしさに胸が憂いる

熟した林檎のように

秋の夕焼けの美しさの中で寂しそうに揺れる

ススキのような静けさをもって

私たちは思い出す

私たちが生まれたとき

道はすでにアスファルトだった

アスファルトの続く直線、アスファルトの描く曲線

雨を弾き、水たまりをつくるのはアスファルトだった

太陽が照らすのも、汗を落とす場所さえも、アスファルトだった

汗の落ちる場所は、歩む道は、いつも黒い。暗かった

空は青く、地は黒く、暗い

陽炎の生きる場所だって、いつだって

アスファルトは飲み込んだ

私たちの黒い瞳は、黒だけを飲み込んだ

私たちの思い出は、アスファルトで圧殺される

緑の風景を下から支えるのは、我らが生んだ新しい黒色

日々の疲れからヒビの入ったアスファルトに、黒い蟻が歩を進める

蟻の足場までも黒くなった

雨が降っているわけでもないのに

この黒さは発展の標

この暗さは繁栄の証

私たちの住む青い星が真っ黒になるまで

人類は、ガラの悪い黒塗りのポンコツをこしらえ続けるのだろうか

暗い幻想と黒い事実

黒く濁った思い出の道は、私たちを生んだ大地だ

ションベンかけて、唾をみなぎらせよ

虫唾の走り出すままに

  

 今まで創り上げ、やっとの思いで今、感じるこの私への、あまりに激しい愛着のあまり、変えようとする私に恐怖、嫌悪、殺意、不安が訪れる。今の私から今からの私への斥力。今の私が二重化してしまう。互いが互いに侵食し合うのだ。ああ、苦しいのだろう。痙攣する片足のように、もがき苦しんでいる。

 今からの私が今までの私を刺激し、今までの私は今からの私を引きとめようとする。それは、今までの私がまだ感じたことのないものを感じたい、そうした、子供が母親におやつをねだるわがままのような理由からであるのだ。今の私ですべてを感じてみたい。感じたい。今のままで感じたいものが確かに、私にはある。誰よりも強く。それが叶うまで、感覚の在り方の異なる私たちの、私たち二人の葛藤は現在し続け、相克し続けるはずだ。

 どうか今からの私よ、もう少しだけ、あと少しだけ、待っていて欲しい。いつか必ず、あなたに私を譲る日がくるのだから。

 

「光源」

 

意味によって照らされ輝いた世界

それは虚無への助走であり帰結である

世界という電球のフィラメントは意味であり

そこから照らし出された生が歩くとき

虚無としての生もまた同じに歩く

そしていつのときにか虚無が歩き始め

生がその影としての歩を進める

 

「科学の外側」

 衣擦れと吐く息の音に誘われ

踊り浮かれ仮面舞踏会に沈む

怠惰を喜び勤勉を軽蔑し

人の世の心が逆転される

そこに生まれるのは知の外にある行為

行為に名指されるものの範囲を越境する

 

「満たされぬ乾き」

 

一般や客観や普通を生の濾過装置とし

殺された美の雫を欲する人々

白熱電球に輝く雫に見惚れ

自我を喰われる

悪魔の雫と知らず

最低への助力と知らず

飲むほどに乾く

 

 

「殺された時を求めて」

 

華やぐ不幸にさらわれて

風の鳴らぬ場所に立つ

迫り来る不安を一瞥し

輪郭は塗り固められていく

幻想に浸る言葉は

淀む今への慰めに

ほころび始めた自分を埋めるのは

皆で殺したあの「時」だけだろう

 

 「朝」

 

薄明に囁く牡牛たちが

民衆讃歌が奏でられるその前に

そぞろ寒い泥の中でしのび鳴く

天蓋が砕かれ煙を透して写す硝子

流れる道徳がただの表現へと実を枯らす

蒼然とし中空から落下する

堤防から喜劇が消えるまでの残りわずかの海

森から背広を着た男が姿を現し

狂人たちによってデッサンされた世界がとうとう演技される

我々のよくなじんだ火の朝が幕を開けた

 

 権力と知が結びつくと、正義は世界から消滅し、都合という正義の言葉の本来性が取り出される。そこにおいて、人々はその都合を正義と見なし、信じ、謳われ、知が枯れ始める。土に埋もれた汚れを知る理性どもは、その十分な栄養を吸収し、偽りの花を咲かせる。その花を枯らす雨は、太陽のごとくそこにあり続けた真実の雫だけである。

 

「常春」

 

春の陽気に抱かれ

静寂の中の煌びやかな

粒子とともに踊る

踊り疲れた緑色の身体に

柔らかい風が抜けていく

さらさらと、サァサァと

その香り立つ夢に眠る

枯れることなく

腐敗することなく

わたしは春の中に在る

 

このまま君と眠ろうか

このまま君と死んでしまおうか

 

中指の立つ国で、繰り返す日々に殺される

 

 

さようなら

 

悲しみ芝居

夢に噛みついてみました

とても酸っぱかった

汗の味がしました

 

貧血が治りました

飢えた野良犬みたい

肋骨を剥き出したまま

わたしは走り出します

 

小さな石につまずきました

わたしは転びました

前が見えなくなりました

真っ暗になってしまいました

発展のためのアスファルトみたいに

消費されるだけの記号に向かって

あなたたちはアスファルトの上を滑ります

 

目が落ちました

熱せられたアスファルト

わたしの目玉が音を立てて

ジュージュー焼けました

 

匂いでもわかるものです

嗅覚は懐かしさのための器官

過去に飛ぶための肉です

 

わたしはもう過去にだけ生きられます

さようなら、わたしの時制

 

夏への手紙

拝啓、夏

 

 初夏の候、梅の雨と共に、日差しが肌を切り裂く季節となりました。メラニン色素が慌ただしく泡立ちます。

 

 さて、夏は夏をどうお過ごしでしょうか。たいそう居心地が悪いのではないか思われます。あなたはとても身体が弱く、幼少期から病院の白いシーツの上でばかり生活されていましたね。

 味の薄いご飯を食べ、見るものは病人の覚束ない足取り。そして、目ヤニと枯れた細腕。聞くものといえば、病人の介護疲れの愚痴や、自動機械のように話される病人への心配の言葉。

 

 

消毒液の香りだけがあなたの故郷。

シーツに染み込んだ小便の黄色があなたの原色。

ゲロのつんざく刺激臭だけが、あなたの鼻腔をくすぐらせます。

あなたはまだ、塩のしょっぱさを知らないでしょう。

 

 

長く伸びた爪を見つめながら、あなたはなにを思っていたのでしょうか。

切り揃えられた爪を羨ましそうに見つめていたあなたは、なにを願っていたのでしょう。

あなたにとって、夏の日の匂いとはなんでしょうか。

 

 春の木漏れ日、そして晩夏。秋の夕暮れの寂しさは心地良く、冬の朝は不安です。

 私は夏が嫌いです。お前が嫌いです。墓は私が買います。葬式の手配だって、費用だって私がすべて工面いたします。ですから、一刻も早く過ぎていってください。そうして、二度と訪れないでください。夏の思い出は、それはそれは素晴らしいものばかりです。だからこそ、それを思い出すたび、私には地獄なのです。地獄の季節なのです。

 安易なセンチメンタリズムはゴミです。夏の日にゴミに出して腐らせ、ハエを集(たか)らせてやりたいですね。蛆まで沸けば、なおよいでしょう。

 美しい思い出を作ることよりも、お前と二度と会わない方が、私にとっては美しきことなのです。もちろん、寂しさはあります。夏特有のあの寂しさ。そして心地よさ。

 鳴る寂しさを聴く心地よさ。風鈴の音と運ばれてくる蚊取り線香の匂い。虫の鳴く声とダラダラと流れる風。あの気怠(けだる)さは、風情といえるでしょう。

 海で泳ぎ疲れ、エアコンの風に足をさらわれながら眠る心地よさ。どこからか聞こえてくる母の声。キャミソール姿で訪ねてくる親戚たち。日が傾いてきたときに、テレビから流れてくる甲子園の延長試合。

 夜はバーベキューにしようかと耳にし、胸が高なったあの頃。肉の焼ける匂い。野菜はただただ黒く焦げていきました。バーベキューが終わり、赤くなっている炭をぼーっと見つめ、蚊に刺された左腕の二の腕を掻く。

 うとうとしながらお風呂に入り、炭臭くなった身体をサッパリさせ、身体を布団に入れる。

 あー、今日は楽しかったなーと、瞼が重くなり、なんの気負いもなく、なんの心配もなく、眠る。

 夏はときに、あまりにも美しく思われます。

 

 長くなりましたが、私が結局言いたかったのはこうです。

 私はあなたが嫌いです。

 

 

かしこ

 

 

 

 

 

障子にペニスを突き立てた季節を知っていますか?

不幸の華やぐ音がします。

不幸の踊る気配がします。

あなたも不幸と踊りませんか?

この蜜を一度吸えば、もう二度と戻れません。

それでもあなたは不幸に溺れたいですか?

とっても気持ちいいですものね。

不幸とまぐわうのは。

不幸との逢い引きほど、幸せなことはありません。

酔いしれ、ふらつく足元のぎこちなさ。

硝子に写るあなたの不幸は、幸せからきっとあなたを守ってくれますよ。

不幸を見失ってはいけません。

 

自分の傷で暖をとりながら歩く冬の日。

気弱な信仰。

崇拝と祈りに結びましょう。

ルールを纏う。

規範を着る。

 

救われたいと願っている人間は、何にだって救われます。

願えば、ナメクジにだって救われます。

まことに楽しき日々です。

 

世間はあなたが思っている以上にでたらめです。

ですから、真面目に生きる必要はありません。

皆は、少しの違いを神経質そうに探します。

そして、笑います。

少しの違いも受け入れられない人々です。

気になりますか?

そうでしょうね。

だって、あなたもその神経質な人ですものね。

皆が皆、自分に都合がいいものです。

それすらも受け入れられない人々ばかりです。

悲しいのも、泣きたくなるのも、あなたの都合ではなくて?

ちがうの?

 

さあ、日常の文脈を中断してください。

 

世界を始めましょう。

安っぽい心で。

そう、安心で。

 

「今」を間違えた人々がいます。

そう、現れ方を間違えた人々が。

私は「いる」ことが不可能なのです。

私は特定の文脈で現れることができないのです。

この世界のこびりついた文脈で、私の現れ方は汚らわしいのです。

 

求めることは疎外であること。

それは、古めかしい図式。

セピア色の理論。

カビ臭い説。

現在の私が未来や反実仮想へと自身を投影します。

ですが、投影された私はカビの生えた赤褐色の妄(みだ)りな想いです。

未来とは、常に反実仮想でしょうか?

逆照射された私は、一体何色でしょう?

 

私が高校生だった頃、古典の授業がありました。

私はそこで反実仮想という概念を知りました。

美しいと思いました。

仮りの想いは実りに反するのです。

実が反ってしまうのです。

歪なのです。

パラノイアパラノイア

歪さだけが秩序に抗うのです。

幾何学化された世界に穴を穿つのです。

障子にペニスを突き立てた太陽の季節のように。

みなさんも一緒に合理性を砕きませんか?

美しいと勘違いしている、整った、わかりやすさに溺れる脆弱性

その無邪気さは可愛らしくありませんよ。

ああ、でもどうか勘違いしないでください。

歪さを新しい秩序だと勘違いしないでください。

歪さは歪さです。

それを受け入れられる人こそ、美しいのです。

それでは、整いすぎている人たち、波の打ち際の白い泡に結びましょう。

 

 

 

 

障子にペニスを突き立てた季節を知っていますか?

不幸の華やぐ音がします。

不幸の踊る気配がします。

あなたも不幸と踊りませんか?

この蜜を一度吸えば、もう二度と戻れません。

それでもあなたは不幸に溺れたいですか?

とっても気持ちいいですものね。

不幸とまぐわうのは。

不幸との逢い引きほど、幸せなことはありません。

酔いしれ、ふらつく足元のぎこちなさ。

硝子に写るあなたの不幸は、幸せからきっとあなたを守ってくれますよ。

不幸を見失ってはいけません。

 

自分の傷で暖をとりながら歩く冬の日

気弱な信仰

崇拝と祈りに結びましょう

ルールを纏う

規範を着る

 

救われたいと願っている人間は、何にだって救われます。

願えば、ナメクジにだって救われます。

まことに楽しき日々です。

 

世間はあなたが思っている以上にでたらめです。

ですから、真面目に生きる必要はありません。

皆は、少しの違いを神経質そうに探します。

そして、笑います。

少しの違いも受け入れられない人々です。

気になりますか?

そうでしょうね。

だって、あなたもその神経質な人ですものね。

皆が皆、自分に都合がいいものです。

それすらも受け入れられない人々ばかりです。

悲しいのも、泣きたくなるのも、あなたの都合ではなくて?

ちがうの?

 

さあ、日常の文脈を中断してください。

 

世界を始めましょう。

安っぽい心で。

そう、安心で。

 

求めることは疎外であること。

それは、古めかしい図式。

セピア色の理論。

カビ臭い説。

現在の私が未来や反実仮想へと自身を投影します。

ですが、投影された私はカビの生えた赤褐色の妄(みだ)りな想いです。

未来とは、常に反実仮想でしょうか?

逆照射された私は、一体何色でしょう?

 

私が高校生だった頃、古典の授業がありました。

私はそこで反実仮想という概念を知りました。

美しいと思いました。

仮りの想いは実りに反するのです。

実が反ってしまうのです。

歪なのです。

パラノイアパラノイア

歪さだけが秩序に抗うのです。

幾何学化された世界に穴を穿つのです。

障子にペニスを突き立てた太陽の季節のように。

みなさんも一緒に合理性を砕きませんか?

美しいと勘違いしている、整った、わかりやすさに溺れる脆弱性

その無邪気さは可愛らしくありませんよ。

ああ、でもどうか勘違いしないでください。

歪さを新しい秩序だと勘違いしないでください。

歪さは歪さです。

それを受け入れられる人こそ、美しいのです。

それでは、整いすぎている人たち、波の打ち際の白い泡に結びましょう。